お前のものは俺のもの。

 昨日の記事からの続き。

 昨日書き忘れた事として、『物質的なリソースが有限であるなら、それを可能な限り平等に配分すべく、先進諸国が生活水準を下げればいいのでは?』という試みが考えられる。多少の不便は我慢して、コンビニもファーストフードも止め、昔の暮らしに立ち戻る。皆でそうやって生活水準を落とし、低水準で横並びな暮らしをすればどうか?

 答え。そんな事が出来ればとうにやっているし、仮に出来たとしても先進諸国が容認できる『多少の不便』の範囲で生活水準を下げる程度では焼け石に水だ。

 つまり、目に見える物質的なリソースですら平等に配分する事は不可能な訳で、その中から自分達の取り分を確保しようと思うなら競争はやむを得ない。更にこの手の争いが救えないのは、どの程度自分達の取り分を確保すればもう良いかという際限が無い事だ。
 よく考えれば、別にコンビニで24時間弁当が買えなくても死にはしない。その程度の利便性が確保されずとも人間は生きられる。ただ人間の欲望には果てが無いから、一度便利さや豊かさを知ればもうそれを手放そうとはしない。絶対に。
 それが無ければ死ぬというレベルでの生存競争ならまだマシだ。そんな事は動物だってやる。しかし人間の争いの大半はこうした『より便利に』『より裕福に』という『欲』を満たそうとして起こる。

 結果として顔も見えない様な遠い異国に住む人間がどうなろうが知った事ではないし、国内であっても人種その他の要因で大衆から『こいつらは仲間ではない』とみなされたグループは同様の扱いを受けるだろう。要するに『皆』が平等に生きるだけのリソースがそもそも無い世界では、人は小さいグループに分かれて争い、自分が帰属する集団がより利益を得られる様に動くしかない。そうする事が自分の暮らしを守る事に直結するからだ。皆で平等に、なんていう寝言を語っている間に、自分達の取り分が誰かに奪われてしまっては意味が無い。
 こうして国や地方自治体レベル、或いは企業や個人レベルでの争いが延々と続く事になる。この争いにはそもそも出口が存在しない。人間が生きる限り、争いは続く。

 ここまでを踏まえて、仮に、全くの仮定の話として、そういう物質的なリソース問題が解決したとしたら争いは無くせるものだろうか。更に次回に続く。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon