どれだけ正しさを積み上げても トム・ロブ・スミス『チャイルド44』

 トム・ロブ・スミス『チャイルド44』を読んでいる。まだ途中だが、読み進める程に強い衝撃がある。

 スターリン体制下のソ連を舞台にした本作は、人間とは何か、国家とは何か、そして正しさとは何かを痛烈に抉り出す。
 国家保安省による国民の監視と、スパイ容疑をかけられた人間に対する尋問。発生する誤認逮捕と無実の人間の処刑。その被害者側に視点を置いた作品を作る事は容易だが、本作は国家保安省の捜査官、レオを主人公として物語が展開する。彼は当然国家権力側に立つ人間だが、その彼ですら他の捜査官や国家の監視下にあり、一つでも過ちを犯せばたちまちその地位を失う運命にある。

 狂っている。日本人である自分は率直にそう思う。しかしその狂気の歯車を駆動させているものは、全て彼等が信じる『正しさ』言い換えれば『正義』による。

 国家体制を維持する事が何よりも優先される社会。国家の正しさに対して疑念を持つ事が許されない社会。そこでは正義によって隣人を密告する者がおり、正義によって容疑者を捕らえる捜査官がおり、正義による尋問ないし拷問、或いは自白剤を用いた取調べを経て製作された供述書によって、スパイであると『自白』した結果処刑される人々がいる。

 個々の行いは確かに非道かもしれない。しかしそれも全ては『より大きな善』の為に許された非道であり、むしろ奨励される行為となる。こうした社会の病理は狂気の中ではなく、善や正義の中にこそある。それはあの時代のソ連だけではなく、今この時を生きる自分達にも同じ事が言える。例えば、9.11後の対テロ戦争だ。

 あの9.11から気が付けば8年が経っていた。グラウンドゼロでは遺族が涙を流していたが、あの日から今日までに流された涙の分だけ世の中がマシになったかというと、どうやらそんな事も無さそうだ。世界は相変わらず狭量なままだし、自分達は互いの不理解に苦しんだままだ。
 こんな書き方をすると、今はその途上であってもいつか同じ人間同士分かり合える日が来るかの様だけれど、自分はその可能性を少しも信じていない。自分は人間が嫌いだ。

 確かにニュースで見た『光のツインタワー』は綺麗だった。失われたものを悼む荘厳な光の柱は、平和を望む人々の祈りを受けるのに相応しいものに思えた。でも同時にその祈りは誰の為のものなのだろうと思う。彼等が願う『平和な世界』の中に、加害者の居場所はあるのだろうかと思ってしまう。答えは聞くまでもないけれど、本当に平和を願うというのは多分そういう事だ。相手を許す事無しに全ての人間が平和に暮らせる社会は手に入らない。だが、そんな事が出来る人間はこの世界のどこにもいないし、もしいたとしても自分はそんな奴の仲間にはなりたくない。
 そんな中で、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待は『当然の事』として行われたのだろうと思う。『チャイルド44』が描く様に、その虐待行為を許し、兵士の背中を押したのは彼等が信じる正義だったろうと推測できる。それはつまり、あの時代から人は少しも進歩していないという事だ。当然本作はフィクションであって、そこで語られるソ連国家保安省の行いも脚色されているのだろうとは思うが。

 当然、自分が被害者であれば加害者を決して許さないだろう。そして自分が加害者側であったとすれば、最初から相手の許しなど求めていない。お互いが、その信じる正義の為に潰し合うのがこの世界で、それはこれまでもこれからも変わる事が無い。
 これは想像だが、自分がテロで家族を奪われた人間だとして、或いは逆にテロリストであったとして、敵対する勢力の人間を前にしてその生殺与奪権が与えられたとしたらどうするだろうと考える。正義の名の下、罪悪感を覚える事無しに好き放題に振舞えるならどうするだろうと考える。また逆に、そうしなければ自分に罰が与えられるとしたらどうするだろうと考える。

 結果として思う。自分はやるだろう。およそ考えられる非道を、より大きな善の為に、自らの信じる正しさに従って相手に与えるだろう。それが人間の善性の底で、きっとこれからも改まる事は無い。

 どれだけ正しさを積み上げても、きっと理想郷には届かない。それだけが正義より確かな、これからも変わらない事実なんだろう。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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