『時は金なり』か? ゲームプレイヤーの場合

 少し前にPS3の『テイルズ オブ ヴェスペリア』をやっていると書いた。
 このゲームはRPGなのだけれど、有料ダウンロードコンテンツとして、キャラクターレベルやスキル、ゲーム中での金、各種アイテム、称号等が用意されている。つまり300円なり500円なりといったリアルマネーを支払って、ゲーム内でのキャラクターレベルやアイテム等を購入する事が出来る。一般的な追加アイテムと違う点は、基本的にこれらはゲームを進めていればいずれ手に入るものだという事だ。
 追加コンテンツと違い、基本的にゲームを進めて行けば手に入るものを、あえてリアルマネーを支払って買うというのはどういう事かというと、これはもう単純にプレイ時間の短縮が目的という事になる。社会人には気長に経験値稼ぎをしてコツコツレベル上げをしている暇は無いんだ、というのがこういったコンテンツを利用する人の心情なんだろう。自分も社会人としてわからなくはない。

 社会人、特に会社勤めのサラリーマンの場合は、平日の日中は会社に拘束されるし、休日も自分の家庭があれば家族サービスの時間も必要になる。だから自分だけの為に使っていい時間はどんどん貴重なものになって行く。
 学生の様に睡眠時間を削り倒して徹ゲーしたり、カップ麺の湯を沸かす時間すら惜しいとばかりに調理不要の食材を買い込み、それを片手で食らいながら連日ゲームに没頭したりする自由は大人には無い。正確には、やってもいいけれどやった途端に社会生活に支障をきたすので、廃人と呼ばれる様なゲーム中毒者以外の真っ当な大人はそんな真似はしない。
 そうした『大人の貴重な時間』を費やす上で、ゲームにかかる時間も短縮したいという需要はあるのだろう。キャラクターレベルを5上げる為にプレイ時間がどれだけ必要か考えたら、300円程度惜しまずに払うという大人の心理はこうした所にある。

 ただ自分は思うのだが、自分達は最初にパッケージソフトを買う時に、このゲームでどれだけ楽しめるか、長い間飽きずに遊べるかという事も考えながら購入した筈で、プレイ時間が長いという事はむしろ歓迎されるべき事だ。それを今度は追加で金を払って短縮したいというのは、自分でゲームを買っておいて矛盾する様に感じる。しかし現実に大人の世界ではこうした事がまかり通っている。それは何故か。

 一つには先に挙げた様に、限られた自由時間の中で遊ぶ事を強いられる社会人の事情がある。そしてもう一つの理由だが、多分ゲームをプレイしていると、ある瞬間にそれが日々の労働と重なって見える事があるんだろう。RPGであれば、レベルアップやレアアイテム収集の為にモンスターを倒す事が作業化している時等がそれだ。数時間粘っても欲しいアイテムが手に入らなかったりするとその時間を無駄にした様な気がするし、そうした時間をつい時間給で換算して、これだけの時間を費やして成果が上がらないのなら、逆にその分金を払うから成果だけくれという気にもなる。
 こうなると、本来それ自体が娯楽である筈のゲームプレイが日々の生活における労働と横並びになってしまって、ただゲームをプレイできれば楽しいという気持ちには戻れない。

 そこで、リアルマネーを使って時間を買う様な真似をしてでも確実な成果を出そうとする人が現れるのだけれど、自分はゲームってそこまでして成果や効率を追求しなければいけないものなんだろうかと思う。
 ゲームというのはそもそも日々の生活に対する余暇であって、学生の頃の様に本気を出して遊ぶにしろ社会人の様に適度に嗜むにしろ、そこに何らかの成果を求めるものではないと思う。レアアイテムが出ようが出まいが(そりゃ当然出た方が嬉しいとしても)そんな事は本来成果でも何でもない。ゲームをプレイする上で成果と呼べるものがあるとすれば、それはそもそも現実の暮らしの中で、こうしてゲームをプレイする時間とゆとりを持てているという事それ自体が十分な成果なのであって、その他に無い。

 まあ平たく言えば、何も余暇でゲームをやっている時までガチガチに効率と成果を追及しなくてもいいんじゃないですかねというだけの話なのだけれど、それがビジネスとして成立する世の中になってしまったんだな、というのが今回のダウンロードコンテンツに関する率直な感想。追加コンテンツならまだしも。
 逆に、某ゲームみたいに皆が血を吐きながら追加コンテンツを買う暮らしもそれはそれでどうかと思うけれどね。

テーマ : 日記・雑記
ジャンル : ゲーム

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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