公共事業における『公益』とは誰の為のものか?(2)

 昨日の記事からの続き。自分でも何でこんな所で力説しているのだろうと思うけれど、書き始めてしまったので最後まで書く。

 大型公共事業には必ず賛成派と反対派が生じる。例えばダム建設であれば建設業界や利水の恩恵を受ける受益者は賛成するだろうし、逆に建設予定地からの立ち退きを強いられる人々は反対するだろう。しかし、そうした議論の渦中に立つ地元の方々以外に、その外側から意見する人々というものもまた存在する。

 例えば国が行う公共工事ならば、その予算は地元住民以外の国民からも納付された税金の中から出ている事になる。仮にその工事が無駄だとすれば、納税者として見過ごす事は出来ない。それは理解できる。納めた税金が無駄に使われているのだとすれば、自分だって一納税者として不愉快だ。

 次に、自らの思想や主義によって意見する人々がいる。例えば環境保護活動に熱心な人は自然に手を加える様な公共工事を快く思う筈が無い。逆に、経済産業界の発展を重視する人ならば、雇用対策や景気刺激、公共工事の受注や補助金等の利点を重視して、賛成の意見を表明するかもしれない。
 他にもテレビのコメンテーターや各種評論家、更には井戸端会議の主婦からコンビニの駐車場に座り込む若者のレベルに至るまで、人にはそれぞれの立場からの意見や見解がある。

 この通り、いかに地元住民の声が大事とはいえ、それだけで是非を決める事が出来ないのが大型公共事業という奴だ。利権や不利益はそれぞれの立場で複雑に絡み合い、それを解きほぐすのは容易ではない。ただ一つ言える事は、その議論の中で『声が大きな者』の意見だけが通る等という事があってはならないという事だ。
 もちろん声の大きさとは文字通りの意味ではなく、発言による影響力の大きさや、発言者が行使できる権力等の事だが、最も声が大きいのは間違い無く国や地方の行政だろう。だからこそこの国の公共事業はその多くが見直される事も無く現在に至ったのだから。

 しかし、国や地方は問題の当事者である分まだいい。自分が最近見たニュースで一番不快だったのは、映画『崖の上のポニョ』の舞台とされる広島県福山市の鞆の浦を舞台にした、埋め立て訴訟に関してだ。訴訟では知事の埋め立て免許差し止めの命令が出た訳だが、それはいい。自分が不快だったのは、各種メディアが一斉に映画監督である宮崎駿氏の発言を取り上げた事だ。

 宮崎氏は『とてもいい判決。鞆の浦の問題だけでなく、今後の日本をどうしていくかを考えるときに、大きなよい一歩を踏み出した』と発言した。記事を参照しようと思えばいくらでも出来るので、ここで全文を引用する事はしないが、つまりは公共工事に反対の立場を表明した訳だ。

 自分も現時点ではこの工事差し止めに概ね賛成する。景観というのは生かせば観光資源にもなるし、何より一度無造作に開発の手を入れてしまうと元に戻す事は難しい。しかしそれでも思うのは、それは鞆の浦に住む上での苦労を自分が一切知らないから言える事なのだろうなという事と、宮崎氏が発言した途端に、地元住民の声、特に工事に賛成する人々の意見がメディアから消えた事はおかしいし、間違っているという事の二点だ。特に後者はその気味の悪さ、メディアの無責任さに吐き気がする。

 自分や他の多くの人々、そして宮崎監督も、鞆の浦に住んでいる訳ではない。更にこの公共工事で直接利益を得たり、不利益を被ったりする立場に無い。言ってみれば外野だ。その外野の中で、声の大きな宮崎監督の発言だけがメディアを席巻した事が、地元に今後どの様な影響を与える事になるか、各種メディアは少しでも考えたのか。その中立性はどこに行ったのか。

 例えば旅行者が山間の田舎町で棚田を見たとする。そこで『棚田の風景は美しい。この風景が失われるのは忍びない』と言う事は自由だ。しかし、実際の棚田というものを考えれば分かる事だが、あれ程耕作地として維持に手間のかかるものもない。大型機械は入れられず、田植えから稲刈りに至るまで手作業でしなければならない。更に後継者の不在が重なれば、実際に棚田を維持する地元住民の負担は想像するに余りある。
 そんな地元の負担を全く考慮せず、無責任に『頑張って景観を守って下さい。まあ自分は直接関係無いし、具体的には何も手伝いませんけど』という様な趣旨の発言をする奴が、自分は昔から大嫌いだ。そんな意見を公に発表する位なら、それこそ思うに留めるかチラシの裏にでも書いておけと思う。

 昨日も似た様な事を書いたが、工事の是非以外にも問題にしなければならない事はあるのだ。声の大きな者が発言をする事で、一番重視されてしかるべき地元住民の声が掻き消される様な事があってはならない。それは国が少数派の意見を黙殺して公共事業を推進してきた悪しき慣習と大差無い害悪だ。

 自分がその黙殺される少数派にならない保障は無い。だからこそ自分は凡人として問う。この国に、或いはメディアに、小さな声を聞き届ける気があるのかどうかという事を、しつこい位に問い続ける。

テーマ : 時事
ジャンル : 政治・経済

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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