そのメッセージは希望になるか・藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト2 ハロー・メッセンジャー』

 

 ライトノベルの公募新人賞でデビューした新人作家にとって、受賞作出版後の次回作は難関だと思う。

 通常、公募新人賞に送る作品は、その作品単体での完成度の高さを要求される。ただライトノベルというジャンルの特徴として、受賞作は続編を求められる事が多い。受賞作は受賞作として、ひとつの作品として閉じ、また新たな作品を一から書いて世に出すという選択肢も無くはないが、少数派だと思う。

 本作もまた、第23回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『オリンポスの郵便ポスト』の続編として書かれている。ただ、作者が本著のあとがきで述べている様に、1巻が物語として綺麗にまとまっているが故に、続編を出す事についていかがなものかという思いもあった様だ。そしてそれは、本作に限らず、ライトノベルが持っている問題点のひとつでもあるのだろう。

 昔、何かで聞いた話で、「将棋の駒は、最初に盤上に並べた時の配置が最も整った布陣なのであり、一手動かして行く毎にそれは乱れて行ってしまうのだ」というものがある。ただ当然ながら、駒を動かさなければ相手に勝つ事は出来ない。自分が思うに、ライトノベルにも似た様な所があって、デビュー作で将棋の盤面に駒を並べた作者は、その後ライトノベル作家として大成して行く為に続刊を出さなければならないのではないかと思う。それはデビュー作が持っていた精緻な盤面を乱しながら先に進む事にもなる訳だが、それは作者も知った上で、それでもやらなければならない。そこに2作目が抱える難問があるのだろう。

 さて、話を本作の内容に戻すが、1巻を読んだ読者が疑問に思うのは、火星のテラフォーミングと移民計画が、《隕石嵐》(メテオストーム)という大災害と、それが引き金となって発生した半世紀に及ぶ内戦で頓挫してしまっている現状で、地球の側は何をしていたのかという事だ。地球は火星を見捨てたのか。その疑問に対する明確な答えは、1巻では意図的に省かれていた様に思う。

 火星の側が地球との通信手段を失った事は仕方がない。しかし地球の側は、通常なら探査機を送る等して火星の惨状を知る事が可能な筈である。そこで生じる疑問について、1巻では、「地球もまた、火星同様に《隕石嵐》による壊滅的な被害を受けたのではないか」「《隕石嵐》は地球側によって引き起こされた人為的な災害なのであり、だからこそ地球からの助けは来ないのではないか」という推論が述べられていた。そして本作を読むと、答えはどうやら後者寄りであるらしい事が分かる。

 火星を救う為、地球から全権大使を乗せた宇宙船を派遣する。

 今更、という気もするが、地球もまた《隕石嵐》による被害を受けていたらしい事を匂わせる記述があるので、程度の差はあるものの何らかの被害はあったのだろう。この辺り、説明不足なのか意図的な省略なのか初期設定からの変更なのか悩みどころなのだが、ともあれ宇宙船派遣計画は実行に移される。しかしながら、何者かの謀略の存在を思わせるある事件の結果、火星着陸目前で問題が発生し、全権大使を任された少女、メッセは着陸艇で一人火星に降り立つ事になってしまう。強行着陸を実施した母船との通信は途絶、当然地球との連絡も出来ない。

 家柄とメディア受けする容姿を武器に全権大使の地位に収まったメッセは、当然ながら一人では何も出来ない。右も左も分からない火星の地で、ローバーの運転も出来ないお嬢様には母船を探す事もままならない。そこでメッセの乗った着陸挺を発見したエリスが、共に母船を探す事になるのだが――。

 テラフォーミングが失敗し、災害と内戦の結果、緩やかに滅亡の道を歩む火星の人類にとって、地球からのメッセンジャーは希望になり得るのか否か。そして地球からの宇宙船派遣計画の阻止を企んだ黒幕の思惑とは何か。今後この物語はある意味で1巻の完成形を崩しながら、連作として新たな結末を目指して行く事になるのだろうと思うが、読者として次に期待するのは連作としての結末に本シリーズがきちんと辿り着く事だ。エリスが旅をする様に、作者もシリーズを完結させるまでの長い旅を始めた。その結末を見守りたいと思うし、その旅のゴールが、続編を出した事が間違いではなかったと思える様な結末であって欲しいと思う。

 

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『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』に参加してみる。

 今年もまた『好きなライトノベルを投票しよう!!』の投票用エントリを書く時期がやってまいりました。最近は半年が過ぎるのが本当に早いなという感じで、読めていない作品も多々あるのですが、自分が読んだ中からお勧めできるものを挙げて行こうと思いますのでお付き合い下さい。今年は余裕を持って早めに投票しようと思います。
 また、今はTwitterからの投票も出来ますので、「ライトノベル、好きですよ」という方は参加されてはいかがかと思います。他の人がどんな作品を推しているのか見るのがいつも楽しみな企画なので、参加者が増えてくれるといいなと思っております。


 上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin4.』
 【17上期ラノベ投票/9784048926027】

 

 毎回くどい位に上遠野浩平作品を推しているが、ライトノベル作家としてデビューして、後に一般文芸に軸足を移していく作家もいる中で、ライトノベルを主戦場に書き続けてくれる上遠野氏は自分にとって「ライトノベルとは何?」という定義におけるある種の基準である様に思う。
 本作の感想はこちらに。


 安里アサト『86―エイティシックス―』
 【17上期ラノベ投票/9784048926669】

 

 電撃文庫の作家陣では大ベテランの上遠野氏の次に、直近の大賞受賞者である安里アサト氏を。まだ読めていないけれど、丁度今月2巻が出たところ。1巻の完成度が高かっただけにハードルが高くなっている気はするのだけれど、頑張って欲しいところ。
 本作の感想はこちらに。


 藻野多摩夫『オリンポスの郵便ポスト』
 【17上期ラノベ投票/9784048926638】

 

 安里アサト氏と同様、第23回電撃小説大賞からのデビューで、こちらは選考委員奨励賞受賞作。こちらも丁度今月2巻が出たところと、何かと共通点が多い。
 電撃文庫で郵便配達員を主人公にした物語というと、自分は増子二郎氏の『ポストガール』を思い出すクチなのだけれど、これだけスマホが主流になって、皆がSNS等でメッセージをやりとりしている時代に、紙に書いた手紙を届けようとする物語が廃れないのは興味深いと思う。
 本作の感想はこちらに。


 葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』
 【17上期ラノベ投票/9784048927055】

 

 メディアワークス文庫からの刊行なので意識していなかったのだけれど、本作も先程の『オリンポスの郵便ポスト』同様、第23回電撃小説大賞の選考委員奨励賞受賞作。こうして並べてみると、電撃文庫とメディアワークス文庫のカラーの違いが際立つ。そして、両者が同じ公募新人賞から出ているという所にアスキー・メディアワークスの強みがある気がする。
 本作の感想はこちらに。


 長谷敏司『ストライクフォール 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516647】

 

 宇宙空間でのロボットバトルというジャンルに、スポーツものの要素を入れ込んだのがこのシリーズの新しい所だと思う。アスリートが勝つ為に自分自身を鍛え上げていく様を見て自分達が感銘を受けるのは、それが誰でもできる事ではないからだ。困難に向き合う事。壁を乗り越えて行く姿。そうしたものを見て素直に感動できる感性は失わないでいたいと思う。
 本作の感想はこちらに。


 牧野圭祐『月とライカと吸血姫 2』
 【17上期ラノベ投票/9784094516722】

 

 宇宙と言えば本作を忘れてはならない。本作もまた登場人物達の努力する姿が胸を打つ作品だと思う。
 ライトノベルでは登場人物達が結果を出す為に努力する物語は好まれなくなっているという話を以前どこかで見た気がするのだけれど、本作を読んでいるといや、まだまだ王道の作品も強いのでは、と思わされる力強さがある。
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 江波光則『屈折する星屑』
 【17上期ラノベ投票/9784150312671】

 

 王道があれば『屈折』もある訳で、少年漫画の様に登場人物達が夢を追い掛け努力する物語の裏側には、本作の様な物語もあるという事だろう。
 生きる上で、時に真っ直ぐには進めない事もある。それでもどこかへ進んで行かなければならないのが人間であって、結局自分にしかその道を選ぶ事は出来ない。自分の選択に、自分自身が納得できるのかどうか。他者からの理解や共感から遠く離れた所に、自分だけの答えはあるのかもしれない。
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 『BLAME! THE ANTHOLOGY』
 【17上期ラノベ投票/9784150312756】

 

 アンソロジーやトリビュートと言えば『伊藤計劃トリビュート2』もあったけれど、アンソロジーというもののあり方としては本作の方が趣旨に合っている様な気がする。あくまでも『BLAME!』という作品の世界観を使って、その中で各々の作家が自分の色をどれだけ出せるかという点で、本作は漫画でもアニメでも再現出来ない方法で『BLAME!』という作品の世界を広げる事に成功した。
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 オキシタケヒコ『おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱』
 【17上期ラノベ投票/9784062940603】

 

 小説ならではという部分では、本作を忘れてはならないのだろうと思う。
 最近は映像化される小説も数ある中で、小説という媒体ならではの技巧によって魅せる作品を読むと嬉しくなる。
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 上遠野浩平『製造人間は頭が固い』
 【17上期ラノベ投票/9784150312794】

 

 上遠野浩平に始まり、上遠野浩平に終わる。好きなので。
 本作の帯にある様に、何気に上遠野氏はハヤカワ文庫JA初登場だったらしい。結構縦横無尽に色々なレーベルから作品を出しているイメージがあっただけに意外だった。そして初登場と言えば、講談社タイガが創刊する時、執筆陣の中に上遠野浩平氏の名前が挙がっていた気がするのだけれど、あれからずっと待っていますがいつになるのでしょうか。編集部が忘れても読者は覚えていますので何卒よろしくお願い致します。
 本作の感想はこちらに。


 以上、『好きなライトノベルを投票しよう!! 2017年上期』への投票用エントリでした。
 投票結果の集計など、非常に手間のかかる企画を運営して頂いているので本当に頭が下がります。自分で本を読んで感想を書いて、という事を繰り返していると、結構区切りがなくて過去の感想を振り返るという事も無いのですが、半期毎に『好きラノ』がある事で丁度良い節目になっている気がしますね。
 さて、下期もまた面白い作品に出会える事を期待しつつ、今日はこの辺で。

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それは逃走か、前進か・上遠野浩平『ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン』

 

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていないものだと思う。それは裏返せば自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていないという事で、つまりは何が言いたいかというと、相互理解の難しさとか、誤解とすれ違いの悲しさとか、そういった細々としたものが積み重なった先にある、もっと漠然とした、「生きるって難しいね」という事だったりする。

 個人的な話をすれば、精神的にちょっと弱ってしまって、最近会社を辞めた。そして受け持っていた仕事の引き継ぎの中で「君がこんな面倒な仕事をしていたとは思わなかった」的な事を何度か言われた。自分は仕事の内容に文句は言わない方だ。やれと言われれば何でもそれなりにやる。それが他人から全く注目も評価もされない類のものだとしても。

 不満が無い訳じゃないし、評価されたいと思わない訳でもない。割を食っても平気な訳じゃないし、この通り、精神的に強い訳でもない。でもそれらを口にするのはなぜか憚られる。

 こうしてみると自分は犬というよりウサギの様だ。もっとも、あんなに愛らしくはないが。

 ウサギは寂しいと死んでしまうという。でもそれはもののたとえであって、本作のあとがきで触れられている通り、本当は体調の変化や不調を表に出さない生き物であるが故に、さっきまで元気にしていた(様に見えた)のに、少し目を離したら死んでしまっていた、という事がままあるからなのだそうだ。なぜウサギがそんな習性を身に付けてしまったのかはそれこそ知る由もないが、精神的に折れるまで何の文句も言わず働いていた自分の姿を見ていた周囲の人達も、死んでしまったウサギの飼い主と同じ様な気持ちになった事だろう。今思えば申し訳ない事をしてしまったし、迷惑を掛けてしまったと思う。

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていない。

 きちんと言葉にしなければ、態度で示さなければ伝わらないものというのはあって、自分の様な人間はその事を知っている筈なのに、それが上手く出来ない。お互いに腹を割って、自分の中にあるものをさらけ出せば解決したかもしれない問題は世の中に山程あるのだろう。でも自分がそう出来なかった様に、相手もまた同じ様な不器用さを抱えているのかもしれない。

 自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていない。

 この事を、「人間は決して相互理解出来ない悲しい生き物なんだね」という様な言葉でくくってしまって、諦めてしまう事が出来れば逆に楽なのだろうと思う。人はどうしたって分かり合えないし、そんな人間が集まって集団を作ったところで全てが上手く行く筈もない。むしろ無理解とすれ違いが常態なのであって、その中で自分が少しでも有利なポジションを確保する為にどう立ち回るか、どうやって相手を出し抜くかという話でしかないのだと割り切れれば、少なくとも他人に理解して欲しいのに無理解に苦しめられるという悩みは抱えないで済む。ただ、そうした現実的な割り切り方を「理解できる」事と「実践できる」事は別問題で、多くの人はやはり他者からの承認を求めているし、自分さえ良ければそれでいいというほど自己中心的にもなれなければ、独立独歩を貫ける程強くもないのではないか。

 自分達は多分皆ブレている。

 周囲に左右されない、強く、自立した、揺るぎない、確固たる強さに憧れる一方で、他人から認めてほしいとか、褒められたいとか、理解して欲しいという淡い希望を諦め、捨て去る強さを持てない。一番にはなりたいかもしれないが、孤独にはなりたくないとか、他人から共感してもらいたいが、特別な存在にもなりたいとか、常に揺れ動いている。ブレまくっている。そのブレの幅、心の振れ幅の様なものに、自分達は常に影響されている気がしないでもない。時に自覚的に使いこなし、時に無自覚に振り回されながら。

 自分は何者になりたいのか。どんな自分であれば満足する事ができるのか。自分自身が自分の価値を認める事さえ出来れば良く、周囲の人間からの評価などどうでもいいと開き直れるのか、それとも周囲に認められる事でやっと自分の存在意義を見出だせるのか。どちらの価値観が正しいのか、またどちらも間違いなのか。或いはどちらも正しく、時として両者が入り混じっているのか。それも含めて、自分達はきっとブレている。たったひとつの、誰が見ても間違いのない、疑い様のない価値観や正解などという便利なものは、多分どこにもない。

 そんな中で生きて行く自分達は、まるでウサギの様に、他の獣に捕食されない為に絶えず周囲を警戒し、ビクビクしているかと思えば、痛みを表に出さないように平気なフリをしてみせたりもしている訳で、強いのか弱いのかもはっきりしない。そのラビット・ランは、何かから逃げている様でもあり、どこかに進んでいる様でもある。全くもってブレている。でもそのブレが生きているという事なのだとすれば、その走りを、自分達は続けて行くしかないのだろう。きっと。

 (逃げている事のツケに追い付かれる恐れからは、どうやって逃げれば良いと思う?)
 (それこそ平気なフリで、自分は前に進んでいるって事にするしかないんだよ、きっと)

 BGM “Leaving Without Us” by MONOEYES

 

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透明人間は存在しない・上遠野浩平『製造人間は頭が固い』

  

 製造人間。統和機構の中で唯一、『人間を合成人間に造り変える』能力を有した存在。その能力が唯一無二のものであるが故に、彼は組織の中でも特異な立場に置かれている。

 自分の存在が唯一無二のものである事。自分が特別な存在である事。周囲の誰もが自分に価値を見出してくれる様な、稀有な存在たり得る事。そんな事に憧れる時期は、誰にでもある。ただ実際にその価値を見出された――背負わされた時、人はそれを重荷に感じ、囚われた、束縛されたと感じるのではないだろうか。

 特別な力を持った存在を、他人は放っておいてくれない。ある者は取り入ろうとするだろう。ある者は恐れて避けようとするかもしれない。敵対する存在として抹殺しようと企てる者もいるかもしれず、その力の謎を解明して我が物にしようと企てる者も出るだろう。

 どんなに特別な力を持っていようと、他人に影響を及ぼす権力を握っていようと、「この自分を頼むから放っておいてくれないか」という願いだけは通らない。自ら働きかけなくとも、周囲がそんな『特別』を放っておく筈がないからだ。

 今流行りの『忖度』という言葉だって大方そんな様なものだ。仮に権力者が直接指示を下さなかったとしても、その影響力を自ら行使しなかったとしても、周囲の人間は勝手に彼の気持ちや思惑を推し量って動いてしまう。或いは、その存在を利用して自分が成し遂げたい事を推し進める為の後ろ盾として便利に使おうともするだろう。こうなってくると、直接指示した確たる証拠でもない限りは、権力者の意向があったか無かったかという議論は曖昧なままに留まらざるを得ない。いや、事の真相なんて自分は知らないけれど。

 では、無能人間ならば――誰からも顧みられない様な無価値な人間ならばそんな憂いなく生きられるのかというと、人はそもそも自分の存在に何の価値もなく、意味もなく、ただそこに存在しているだけという状態に耐えられないし、周囲もまた無力な人間こそ見付け出して都合よく利用してやろうと狙っている訳で、「自分がそこにいる事」を消してしまわない限りは、自分の存在そのものを投げ捨ててしまわない限りは、他人からの干渉を一切受けないという意味での自由など獲得出来ない。そして当然ながら、それはこの世から自分が消え去るという事を意味する。

 透明人間は存在しない。

 自分などはどちらかというと無能人間に近い方だが、それでもここにこうして存在してしまっている以上、透明人間にだけはなる事が出来ないのだろう。それを悲しむべき事と捉えるのか、どんな人間にもそこにいる意味はあるのだと肯定的に捉えるのかは人それぞれだろうが、大きな権力や影響力を握っている者が日々感じているであろう不自由さと、何の力も持たないが故に存在の軽さに耐えられない人間の憂いと、どちらがより不幸な境遇かという比較には、恐らく意味はない。それらは表裏一体のものであって、自分にとってどちらがより性に合っているかという比較は出来ても、客観的事実としてどちらが恵まれているかという答えを出す事は難しいだろう。とはいえ、俗な話を言えば金や権力というものは、持たざる者から見ればこの上なく羨ましいものではあるのだけれど。

 持たざる者は持てる者の苦悩に思い至る程の余裕は無く、持てる者は持たざる者が無責任に不満を口にするのを気楽なものだと切って捨てる。ただ両者は断絶している訳ではなくて、互いが互いを束縛する様に関係性の糸に絡め取られているのかもしれない。

 さて、本作には、製造人間、無能人間、双極人間、最強人間、交換人間、奇蹟人間など、様々な『人間』が登場する。彼等は皆人間離れした能力を有しているか、自然に生まれた人間という定義に当てはまらない存在だ。それでもなお繰り返し、しつこい位『人間』という言葉が繰り返されるのは、彼等もまた人と人との間に存在する関係性から解き放たれた存在ではないという事なのかもしれない。

 昔のアニメソングではないが、『おばけにゃ学校もしけんもなんにもない』のはなぜかと言えば、彼等が『人間』ではないからだ。人間でないものは、人間のしきたりや法律や倫理観といったものに従って生きて行く必要はない。合成人間もその能力だけ見れば充分人間離れしている。その気になればお化けや妖怪の様に超然とした存在になる事は可能な筈だ。しかし彼等は自分達人間と全く同じ苦悩を抱えている。

 組織に属し、自分の居場所を確保する為に汲々とする事。自尊心を満たそうとする事。自らの存在意義を見付けようと思い悩む事。無力感に苛まれる事。他者からの干渉を疎ましく思う一方で、自分も無意識に他者に対して干渉してしまうという関係性から逃れられない事。挙げればきりがないが、それらは全て『人間』が抱える懊悩であって、いかなる合成人間であっても、あの最強人間であってもそこから自由ではないという所が、彼等が『人間』である所以なのだろう。仮にその糸が届かない先に存在する事が自由なのか孤独なのか知らないが、そんな立ち位置に至る事が出来るのはそれこそあの自動的な、不気味な泡くらいのものかもしれない。

 透明人間は存在しない。

 皆どこかで、誰かと繋がっている。見えない関係性の糸で結ばれている。そう考える時、自分はそこから自由になりたいのか、それともより強く結ばれたいと願うのか。思いは半々だ。その時の気持ち次第、置かれた状況次第で考え方や受け止め方などどうにでも変わってしまう。ただ自分が『人間』であって、この先どうあっても全ての糸が断ち切られた場所に至る事はないのだと分かっているのなら、時に絡んだ糸を切り、また新たな糸を結びながら生きて行く他に道はないのだろうとも思う。中にはどうしても断ち切れない糸もあるだろうし、結んでおきたくとも途切れてしまう糸もあるだろうが、そのままならなさの間に立つ人の事を、恐らく『人間』と呼ぶのだろうから。

 (で、人間関係を切って、別な人と結んでも、どうせまた『生き苦しい』とか言うんだろ?)
 (『人間』は辞められないし、透明にも自動的にもなれないからね)

 BGM “The Invisible Man” by Queen

 

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世界に滲み出す人の醜悪さ・白井智之『人間の顔は食べづらい』『東京結合人間』

  

 どちらも前々から気にはなっていた作品。
 自分の場合、書店で本を買う時に、「題名を見ればおおよその内容が分かる作品」と「題名から内容が想像し難い作品」ではどちらを手に取るだろうと考えると、後者の方が多い気がしている。だって『人間の顔は食べづらい』ですよ。書影から漂う怪しさも相まって、内容が凄く気になる。『東京結合人間』も、結合人間という言葉がまず強い。『ムカデ人間』みたいな異形の人間を想像してしまうし、それがあながち間違っていないのも凄い。

 どちらの作品も、人間が内面に隠し持っている醜悪さを抽出して推理小説という媒体に落とし込んだ様な内容で、単にグロい、恐ろしい、というだけに留まらないのが強い。目を背けたくなる様な内容なのに読ませる、という作品だ。

 『人間の顔は食べづらい』では、致死率の高い新型ウイルスの蔓延で肉食を忌避する様になった人間が、安全な食肉を確保する為に自分の遺伝子を使い、食人目的のクローンを作成するに至った世界が描かれる。肉として喰う為に業者に依頼して自分のクローンを育てる富裕層がおり、業者が家畜の様に人間を肥育し、畜殺し、食肉加工するという世界はかなりエグイ。

 首を切り落とされた人体がパック詰めされて出荷される世界という、一般的な倫理観からすれば受け入れ難い世界観がそこには広がっている。しかもその食肉は自分のクローンなのだ。そこで起こる事件や推理よりも、この食人が肯定される世界観そのものが何かの暗喩なのではないかと思ってしまう。

 『東京結合人間』では、男女が性交の結果一人の結合人間となる様に進化した架空の人類史の中で起こる事件が描かれる。

 この世界では、男女が性交すると体が融合し、4本の足と4本の腕、4つの目を持つひとりの結合人間になる。脳や骨格といったものまで文字通り結合してしまう訳だが、その過程で『一切嘘がつけない結合人間=オネストマン』が生まれてしまう事がある。一種の脳機能障害とも言える症状だが、嘘がつけない筈のオネストマン達が集う孤島で殺人事件が起こる。容疑者7人は皆オネストマンであり、嘘をつけないはずだが、なぜか全員が犯行を否定する。果たして真犯人は誰なのか。

 推理小説のギミックとして嘘がつけない人間=オネストマンという設定が必要なのは分かるが、その為に結合人間というおどろおどろしい存在が生み出されるに至るのは、ある種の『過剰さ』を感じさせる。

 どちらの作品も、小説としては容疑者や探偵役が登場し、物語が展開する中で推理が組み立てられて行くオーソドックスな推理小説の形をとっているものの、その推理やトリックを成り立たせている世界設定には人間の醜悪さを煮詰めた様な過剰さがあり、人によっては嫌悪感に繋がりかねない。だが、それでもなお読ませる。この、『魅力』と言うには憚られる様な牽引力が、両作に特異な存在感を与えている。

 人間は道徳的な側面もあれば、嫌悪を催す様な負の側面もある。例えば自分の利益の為に他者を食い物にする事。弱い立場の人間に隷属を強いる事。所有欲、性欲、支配欲等の感情に突き動かされて相手を踏みにじる事。そういった負の側面を強調して世界観の中に鋳込むならば、きっと本作の様な世界が生まれるのではないかと思う。

 文字通り『人間を喰う』世界。性交が異性との融合と化す世界。

 その世界の醜悪さから読者が目を離せないのは、その嫌悪感が全くの創作ではなくて、自分達が現実の中で日々思い知らされているそれと地続きであるからではないかと思う。作品の中に漂う醜悪さは正に自分達から滲み出しているのだと気付いているからこそ、読者は目を逸らす事が出来ない。そんな気がする。

  

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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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